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執筆者の写真Yutaka Okuyama

虹の幼稚園から(40)Self-Introduction

先日、長年のアメリカからの友人が旭川に立ち寄りました。


「久しぶり、元気?」十数年ぶりだったんです。早速、「ユタカの幼稚園と英語スクール案内してよー」、「Okay!」


まずは、3条のプリスクールにじいろです。「Oh, my god!、すごいね、園児であふれているんだね!」




「そんなことはないんよ。。。」


「え~、なんで?子供いたら絶対ここ入れるよ!」


「ありがとう・・・、じゃあ、次、大町の英語スクール行く?」ということで大町に向かいました。


「WOW, これ、アメリカの家じゃん!ユタカとマミらしいね!」




「ありがとう!やっぱ、自然とアメリカみたいになるんだよね~ 皆からよく、’なんか違う’っていわれるよ」


「当たり前、あなた達は日本でもまれな人種だからね」


「それって良い意味?」


「もちろん!」


という感じで楽しい時間を過ごしました。夜は会食でした。そこで、友人が、


「あのさー、まだユタカとマミのこと、地元の人たちよく知らないんじゃないの?知ってもらわないとだめだよ~」


ということでこの場をお借りして少し2人のアメリカ生活をお伝えしますね。


2005年の帰国まで、約13年間アメリカのアラバマ州にて妻のマミと二人で過ごしました。まずは二人でアラバマ州の短期大学に入学、卒業後は大学フットボールの名門、そしてマンモス大学である、アラバマ大学に3年次編入しました。妻のマミは短大時代、フルスカラーシップを受け全額学費免除でした。たくさんの良い友達に恵まれました。それが、私達の英語コミュニケーション力の基礎になっています。




*左の写真は左から私、ジョイ、ボビー、ケリー、マミ、そして韓国人のミエです。真ん中は私とベストフレンドのスティーブ、右は毎年感謝祭とクリスマスには招いてくれたスティーブの実家です。


アラバマ大学で私は史学と政治科学を専攻、マミは美術専攻でした。大学での勉強以外に「サタデースクール」という日本人補習校(土曜日のみアラバマ在住の小学生から高校生までが集まり日式教育を提供)の運営を任され、全く知らなかったアラバマ州の日本人社会との交流もさせて頂きました。貴重な体験でした。



大学卒業後、マミは友人のケリーの工房で陶器の製作活動に従事し、大学のジャパンカルチャーセンターなどで個展を開催。





私は恩師であるロバート教授より大学での日本語講師と大学院での研究を進められ、大学院に進学しました。研究と講義の2つのわらじで8年間程、過ごしました。


*日本語学科の学生です。


2005年には、研究が認められ政治科学で博士号を取得することが出来ました。研究活動を通じて、物事には真摯かつ真剣に取り組まなくてはならないとの教訓を得ました。


その後、長年離れることになった日本、そして、いままで支えてくれた家族のもとに戻るべく、帰国を決意しました。


2011年までは東京の某学校法人での勤務、中国にも家族を同行し2年間赴任しました。その後、旭川で英語スクールを立ち上げ、2018年には教育支援のNPOを設立、これがプリスクールにじいろの運営団体になっています。


英語スクールでは現在まで幼児から80代まで約200名ほどの生徒さんを指導して来ました。立ち上げ当時からの生徒さんもおり、ありがたい限りです。


保育施設を運営したいと考えるようになったきっかけは、学生さんを指導している中で、どうもコミュニケーション力向上の指導は時間の制約もあり、難しいことがわかったからです。


私としては、英語=コミュニケーション力と考えているのでどうも歯がゆい感じがありました。そこで、解決策としては幼児からの語学教育という結論に至ったのです。そこに経験知から中国語、知育教育の重要性を認識していたため、それを取り入れた幼児カリキュラムを開発するに至りました。


先程の友人が、「ところで、英語レッスンはだれがやっているの?」


「アメリカ人に任せていたけど、難しい場面もあるので、今はフランス人にお願いしているよ」


「ユタカがやらないとだめじゃん!人に任せるんじゃなくて、ユタカとマミがやるの!」


ありがたいアドバイスでした。そうするねー。




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